どうも、お坊さん大道芸人のとっしゃん(@tossyan753)です。
お坊さんの代表的なお仕事が法事です。
現在の法事は、一族が参列するというのが通例ですが、年々規模が縮小しています。
親族が都会に就職して帰ってこないとか、どうしても仕事が抜けられないとか。
家族だけで法事をしますというのもよく聞く話になってしまいました…。
お坊さんとしては、やっぱり法事を大切にして欲しいのですが、家から個の時代になっているので昔のように一族が集まる法事というのはもう無理なんでしょうね。
しかし大切な人が亡くなった悲しみはいつの時代も変わらないですし、現代人にも弔いたいという思いはまだまだ流れていると思います。
そんなときに法事の在り方もまた変わってくるのかもしれません。
これからは法事は親族だけがするものじゃなくなってくるんじゃないですかね?
そもそも法事って何なのさ?
仏教といっても日本にはたくさんの宗派があるので一口には言えませんが、なぜ法事をするのか?という疑問に対して浄土真宗的に答えると、
自分のいのちの再確認
だと思います。
日常生活では忘れてしまいがちな、いのちの事実を改めて見直しましょうという事です。
私たちはたくさんのご縁に生かされています。
そもそも自分はなぜ生まれたのか?
自分が生まれたのは親がいたから。
その親にも親がいて…という風にいのちの連鎖が続いているというご縁。
多くの生き物のいのちをいただいて、生活をさせてもらっているというご縁。
他にも書ききれないほどたくさんありますが、そういったご縁によって私たちは生かされているという事実を再確認し、「この人がいてくれて今の私がある。ありがとうございます。」という場が法事の大きな意味です。
そして、この心を忘れないように3回忌、7回忌と数年ごとに法事が行われるんです。
義務感の法事
法事がそういう場とは言っても、親や近くで関係の深かった親戚の法事なら素直に「ありがとう」とも思いますが、関係が薄い人の法事で素直に「ありがたいな〜、この人がいてくれて良かったな」とはなかなか思わないですよね。
ほとんど会ったことがない遠い親戚の法事に出ても何で法事をしているのか分からないというのが素直な感想なのではないでしょうか。
「会ったことないし、お金もかかるし、正座は足痛いし…。」
そういうネガティブな感情ばかりが溢れ出してきませんか?
義務感でやっているといいますか、恩やご縁を感じにくい方の法事が多いというのが、法事の規模が縮小している原因かもしれません。
お世話になった人の法事はしたい
では、誰の法事なら自発的にでもしたいと思えるのか?
僕ならお世話になった人と仲の良い友人の法事はやりたいですね。
もちろんそういった方はお葬式にも参列しますし、仲間内で数年事に法事もしたい。
そしてこれはほとんどの方が持っている感覚だと思うんですよ。
例えば恩師の法事の場合
例えば、すごく教育熱心で生徒の信頼も厚かった学校の先生が亡くなった場合なんかはどうでしょうか。
すごく慕っていた生徒の中から「先生の法事をして集まらないか?」という思いを持ってた人が出てくると思うんです。
今だったらSNSで「◯◯先生の法事をみんなでやります」というのを作ればメンバーにも告知できますので、同じように先生を慕っていた人は集まりますよね。
きっとしみじみと恩師の話をするでしょうし、同窓会のようで楽しいでしょう。
まさにご縁や恩を再確認する素晴らしい法事になるのではないでしょうか。
まとめ
お寺業界は法事がどんどん縮小していくという事に頭を悩ませていますが、これからは親族じゃないけど、恩師や友人の法事がしたいって形に変わっていくんじゃないですかね?
血の繋がりも大事ですが、血が繋がっていなても大切な人はいますからね。
あなたにもきっとそういう人はいると思います。
やりたくてやっている法事は、お坊さんとしてもすごくお手伝いしたいです。
みんなが満足できる法事になるんじゃないかな。
以上、これからの法事について考えた事でした。