どうも、お坊さん大道芸人のとっしゃん(@tossyan753)です。
何か変わったことをしていると「それ、何の役に立つの?」って聞いてくる人、いますよね。
僕はジャグリングを始めた当初はかなり言われました。
個人的に役に立つかどうかだけを判断基準にしている人とは仲良くなれる気がしません。
そんな事を聞いてどうするんでしょうかね?
役に立つかどうかなんて別に気にする必要ないんですよ。
今回はそんなお話。
役に立ちそうかどうかで判断するの?
新しい事をはじめるときに、
将来役に立ちそうだから、外国語を勉強しようとか、
就職に役に立ちそうだから、資格を取ろうとか。
こういう事を言い出す人がいますが、僕はこういう考え方が大嫌いです。
別に好きで勉強するなら全然構わないんですが、役に立ちそうだから勉強するみたいな考え方はダメですね。
役に立ちそうかどうかではなく、やりたいかどうかを判断基準にした方が良いです。
役に立つかなんて分からない
自分がやっている事って、ほとんどの場合役に立つかどうかなんて分からないんですよ。
僕はジャグリングをやっていますが、本当にたくさんの方から「それ何の役に立つの?」と言われてきました。
その質問をされても、分からんとしか答えようがないんですよ。
だって、その時は本当に分からないですからね。
ただ、僕は心の底からジャグリングをやってて良かったと思っています。
ジャグリングが人生にどう役に立ったかを簡単に思いつくだけでも、
- 一芸が身についた
- 同じ趣味を持つ幅広い年齢の人とつながりを持てた
- 地元のサーカスに出演できた
- 海外のジャグリングのDVDを見まくって多少英語が聞き取れるようになった
- お金が稼げるようになった
- 子供との遊びの幅が広がった
他にも、数え切れないぐらいジャグリングは僕の人生において役に立っています。
でも、これらは結果であって、始めたときには分からなかったし思ってもいなかった事ばかりでした。
つまり、役に立つかどうかなんて事前には分からないんです。
役に立ちそうなんていう判断は全然意味のない事なんですよ。
すべての経験は役に立つ
もっと言うと、僕はすべての経験が役に立つと思っています。
僕はマリオと同い年で、ゲームをやって育ってきました。
世間的にはゲームはあまり良くないものとして扱われてきましたが、僕はゲームをやっていた時間も大切な想い出で、全く無駄とは思わないですし、ゲームの経験が全然役に立ってないとも思いません。
もちろん楽しい事ばかりじゃなくて、辛かった事や、失敗した経験もすごく今役に立っています。
なので、役に立つかどうかの判断は別にする必要がないんです。
すべての経験は役に立つんです。
人生経験はすべて役に立っているんです。
まとめ
現代社会では、特に役に立つかどうかという事を問われる機会が増えてきました。
ただ、僕の感覚から言うと「それを聞いてどうすんの?」という気持ちしか生まれません。
役に立つかどうかの議論は意味がないですし、物事はどうやっても役に立っちゃうと言ったほうが正解な気がしますね。
この記事もあなたの役に立てば幸いです。