どうも、お坊さん大道芸人のとっしゃん(@tossyan753)です。
最近、出来ない事もまた財産だなぁという出来事がありました。
どうしても出来ないよりは出来たほうが良いと考えがちですが、誰しも苦手なものってありますよね。
例えば、ぼくの場合は英語です。
なので、イングリッシュはノーサンキューだったんですが、そんなミーだからこそニードされる場面があったんです。(これが僕の英語力の限界)
今回はそんなお話。
僕は英語が苦手
僕は英語が苦手です。
学校で習った筆記体で嫌になり、その後はフェニックス(Phoenix)のPってなんやねん!とか、文法や助詞や助動詞なんかで意味不明になり勉強をやめてしまいました。
今ではどうしても必要な時(パソコンのエラーメッセージなど)に調べながら読んでいる程度です。
なので、英語はあまり好きではないし、世間一般で言うところの
英語が出来ない人
になると自分でも思っています。
ただ、そんな英語が出来ない僕だからこそ、持っているものがあるのです。
英語が出来ない人の視点を持っている
英語が出来ない僕が持っているもの。
それは英語が出来ない人の視点です。
自分と同じように英語が出来ない人の気持ちがよく分かります。
例えば、喋れない、聞き取れない、そもそも知っている英単語の数が少ない、などなど。
こういう出来ない人の気持ちがよく分かるんですよ。
よく分かるので、英語を勉強しない言い訳もわかります。
出来ない人の英語を勉強しない言い訳は「日常でそこまで必要にならない、今までもそんなに困らなかった」です笑
さてさて、そんなに困らなかったと言っても、もちろん出来た方がいいでしょう。
ましてや、英語が出来ないことが必要になる場面はないと思っていたんです。
ただ、先日それが必要になる場面があったんですよね。
教材作りは出来ない人の視点が必要
英語が出来ないことが必要になる場面とはなんでしょうか?
それは英語の教材を作る時です。
こういった教材は、出来ない人が出来るようにするために使うものですから、良い教材を作るためには出来ない人が必要になってくるんです。
英語が出来ない人は、どこで分からなくなるのか、はたまたどこで苦手意識を持つのか。
そんな出来る人には気付かない出来ない人の悩みや躓きが、英語の教材を作る時に必要になるんです。
教材を作る上で「この表現は分からない」、「これはパッと理解できない」という出来ない人の意見こそ、教材を作る上での貴重な意見になります。
英語が出来ないのはコンプレックスのように感じていましたが、こんな風に必要になるとは思ってもいませんでした。
いやぁ、英語が出来なくて良かった笑
まとめ:出来ないからこそ社会は発展してきた
思えば、現代社会は出来ない人がいたからこそ、どんどん発展をしてきたのではないでしょうか。
教育もそうですし、家電やサービスなんかはそうやって発展してきた良い例ですよね。
出来ないという苦手意識を持たせないために、教え方を工夫したり、
ご飯が上手に炊けない人のために炊飯器、食器洗うのが苦手な人のために食洗機が出来たり。
インターネットもそうですね。
最初は一部のオタクでしか使われていなかったものですが、出来ない人でも簡単に出来るように工夫したから爆発的に利用者が増えたわけです。
出来ない人がいるからこそ、誰かが工夫をしてみんなが出来るようになっていく。
出来ない事は恥ではなく、立派な財産なのかもしれません。